明るい?透析生活

世界を股にかけてきたビジネスマンが透析患者になちゃった

The long and winding road

こんにちは。年明けからバタバタが続いてBlogもサボっていました。Jack Amanoです。

 

タイトルの、The long and winding road.....ちょっと大袈裟に過ぎました(笑)

 

5月の下旬にHD導入になり、月、水、金のスケジュールで病院に通う事に。当時は、結構、カラダは厳しい状態で、特に体内水分量が多めだったように記憶しています。例えば、3階相当の駅の階段を上ると、胸が苦しくなる.....と言ったような状況でした。

 

施設透析を開始して、最初の1ヶ月は、殆ど 「お客様状態」で、普通に施設透析を受けていました。先ずは「透析」そのものに慣れていくプロセスだったと思います。透析を受ける事で、悪かった体調は劇的に改善して行きました。

 

例の3階相当の階段の昇りも、ラクラク。まだ除水は殆どしていませんでしたが、胸が苦しくなる症状もなくなりました。自分でも、どれ程、尿毒が溜まり、体液バランスが限界に近かったのだろう?と思いました。

 

施設透析開始直後は、穿刺を担当いただいた看護師さん、技師さん達に、ご苦労をお掛けしました。それは、私自身の左腕、内シャントがまだ充分には発育していないが故、穿刺が難しかった事です。男性だと、静脈は分かり易い人も多い中、私の静脈はは結構、恥ずかしがり屋さん。中々、表面には顔を出しません。

 

どうやら、透析室のスタッフさん達の間では、「Jack Amanoさんの穿刺は要注意」との情報共有が早くもされていた様子(笑)生来、人間観察が好きな私、穿刺の度に、その日の担当の技師さん、看護師さん達の穿刺のクセを記憶、整理しておりました。

 

やはり、穿刺にも「相性」「上手い、下手」はあって、上手で相性がいい人の穿刺は、「あれっ!?」って言うぐらい、痛くも痒くもなく、既に針が入っています。反対に、相性の悪い、または「下手」な人だと、自然と身構えてしまう程でした。

 

そして、透析開始後、2週間程で、HHD( Home Hemo-Dialisys=在宅透析)に向けたブリーフィングが始まりました。主に、担当の技士さん(臨床工学技士)さんから、HHDトレーニングの全容、目的、実施に向けた流れの説明が行われました。

 

実は「HHDなんて簡単に出来るだろう」と少々、甘く思っていた自分がいました。しかし、年齢を重ね、新しい事を覚える能力が著しく低下した自分に向き合い、現実を知る事になります。本来、立派な医療行為である血液透析を、自分自身の為に特別な管理下で行う.....勉強する事、習得して実践する事、手技の訓練......と、長く厳しい道のりが私を待っていたのでした。